58 突入

逆行した悪役令嬢は貴方なしでは生きられません!

朝から黒い雲が流れていたが、午後には雨混じりの強い風が吹き始め、窓ガラスが不気味になり始めた。

 強い雨が時折吹き込んでくる王宮の回廊を、武装した隊列が進む。中庭の木々の枝がひゅうひゅうと音を立て、装甲が擦れ合う金属音は物々しい。陛下の御身を守るという名目ではあるが、洗脳されている可能性が高く、魔獣やならず者の討伐とは異なる緊張感に包まれていた。遠くで雷鳴が響き、稲妻が時折、薄明るい感じのする闇に青白い光を放つ。

 

 私は列の最後方にいた。あくまで後方支援でいろとの王太子の命だ。魔力が十分に足りているのだから兄よりもずっと役に立つと思うのだが。

「お嬢様!」

陛下がミアを連れ込んでいる…もとい招いているという王宮の玉座の間に差し掛かろうとしたときに声がした。振り向くとハンナが走ってきた。

「どうしたの?危険だから宮にいなさい」

 庭を突っ切ってきたらしく服や髪がずぶ濡れだ。

「あの…お伝えしておきたいことが…」

ハンナは息を切らしていてそれでもなんとか伝えようとする。

「何?」

「…お嬢様が頂いてきた蜂蜜ですが、あれ、魔薬でした」

「は?」

「蜂蜜です」

「蜂蜜?」

ハンナは頷いた。

「お嬢様が戻られたときのためにお茶を用意しておこうと思ったのです。言われた通りあの蜂蜜を使おうと。でも何か変な感じがしたのです。毒ではないのですが、何か違和感が。それで鑑定に出させました。そうしたら、高濃度の魔薬だと。加工技術が高く一見してはわからないようですが…」

―あれはベルタ王女に頂いたもの…王女の恋人ヴィクトルが製造している…王女が私に麻薬を?待って。その前に…王女は魔薬を口にしてしまっている…?

「封鎖完了!」

騎士団の合図がした。次いで、耳をつんざくほどの雷鳴が爆音を立てた。出入口の封鎖が終わって、突入まであと少し。時間がない。

「わかったわ。王妃宮に知らせて。決して口にしないように、と。」

「わかりました」

 ベルタ王女が魔薬を口にしてしまっているのか、知った上で私に贈ったのか。思考がごちゃまぜになって言いようのない不安を感じる。だが、今はそれを考えている時間はない。

今は、陛下がどのような状態でいるのか、ミアが何をしようとしているのか、この部屋で何が行われているのか確かめなければ。

 玉座の間の扉前に、ルドルフ、エリアスにアレク、そして魔術師団長である私の父、騎士団長が集まった。ミアの使う魅了にあてられないよう、私はルドルフと共に光の魔法を彼らにかける。多数の者に王の痴態を晒すわけにはいかないので、最低限の人数で臨むことにしたのだ。

 突入のタイミングはすぐにやってきた。全員が抜刀する。部屋は施錠されていて魔術もかかっていたので、騎士団員は魔力を込めた斧でぶち破るほかなかった。バリバリッと扉を破る音は同じくばりばりと天をつんざき地響きを起こすような雷鳴と重なった。

 玉座の間には、窓からの薄明りと、わずかな蝋燭の灯りだけがあった。その蝋燭も玉座の周りにだけあって、開いた扉から射し込んだ光がそこにいる人間のシルエットを浮かび上がらせた。入口から離れた後方で兵に守られている私には、長く伸びて形も分からない影しか見えなかった。

「そんな…」

誰が発したのか分からない呟きが聞こえた。ごくりと生唾を飲み込む音も聞こえた。私は、兵が止めるのを振り切って、部屋の入口に駆け寄った。

 玉座に二人の人間がいた。

王しか許されないその椅子に座っているのは、桃色の髪をふわふわと揺らす少女。その彼女の足元にかしづき、ひれ伏している男。小さく縮こまっているが、肩幅が広く大柄な男性であることは見て取れる。白いシャツに黒のズボン。下男のような身なり。その頭にあるはずの、この国の最高権力の象徴である宝冠は彼の頭にはなく、代わりに、少女の桃色の頭の上にある。

戴冠式が、王の交代の儀式が今、まさにここで行われている。

「陛下…これは…どういうことです?」

魔術師団長カレンベルク侯爵は静かに声をかけた。

「何をなさっているのですか!!」

騎士団長グリュックハイム侯爵は声を荒げた。

 少女の足元にひれ伏していた男が気だるそうに身体を起こす。そしてゆっくりとこちらを向いた。ついこの間姿を拝見したときの威厳、周りを圧倒する風格はない。輝くような金髪は艶を失い、薄闇に浮かび上がって白髪に見えた。目は落ち窪んで頬はこけ、だが瞳だけは狂気を孕んでぎらぎらとした鈍い光を放っている。首を動かしながら立ち上がる様子は、蛇が鎌首をもたげるのに似ていた。じろりと私たちを見回す。大蛇に睨まれたようで私は恐ろしさのあまり思わず下を向いてしまった。

「父上…お気は確かですか」

ルドルフは父に問うた。その問いが意味のないことだということは、発した彼自身が一番分かっていただろう。

 国王は何も言わず、ただ彼の息子を見つめている。

「何を言っても無駄よぅ?」

代わりに甘ったるい声が答える。

「陛下はもうあたしの言いなりなんだから。」

桃色の髪を揺らしながら玉座から立ち上がた。

「貴様…陛下に何をした?」

ルドルフがミアを睨みつけた。

「何って…。あたしは陛下の女神なんですって。あたしのためなら何でもするっていうの。」

コロコロと玉を転がすように笑う。無邪気な愛らしい声。そして恍惚の表情。だが、目は狂気に満ちていた。

「だからね。あたし、この国をちょうだいって言ったの。まぁ…ほんの冗談のつもりだったんだけど、本当にくれるっていうんだからびっくりよね。」

 きゃははっと笑うその様子は新しいおもちゃを手に入れた無邪気な少女そのもの。だが、私は全身に激しく鳥肌が立つのを感じた。腐ったものの臭いを嗅いだときのように胸が気持ち悪い。

 

 

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