20 会場を出る

汚部屋の主は幼馴染で御曹司

「宮野専務、はじめましてぇ。水沢穂香です。笹森さんとは、同期で仲良くしてもらってたんですよ。日奈が専務の秘書だなんてびっくりです。だってこの子ったら地味っていうか、目立たない子がMIYANOみたいなおっきな会社の専務秘書なんて。それにちょっと鈍いところもあるんです。ご迷惑をおかけするかもしれませんけどよろしくお願いしますね。」

どういう立場で言ってるんだろう?

100人以上いる同期の中の1人にすぎないのに。

それに鈍いって、渉の浮気に気づかなかったとでも言いたいのか?

婚約者が傍にいるというのに、穂香が壮ちゃんを見つめる目には熱がこもっている。

上目遣いに自分が一番可愛く見える角度を壮ちゃんに向ける様子は男に媚びる術にたけた熟練の女の技だった。

壮ちゃんが穂香の視線の意図を汲んだのかどうか分からなかった。

だが、わたしの腰に手を回し、自分の方へ少し引き寄せ、わたしの顔を見て少し目を細めた。

そして穂香の方に目線を移して口を開く。

「そうですか。日奈は昔から場所をわきまえる子でしたから。仕事は堅実にやってくれるし、こういう場で華も添えてくれる。丁寧でよく気が効くのでこうやって公私ともに支えてもらっているんですよ。」

わたしを貶めようとした思惑が外れたらしく、穂香は顔をひきつらせた。

渉も顔が強張っているように見えた。

水沢取締役は何も気づいていないようでニコニコとしていた。

「いやぁ、うちの営業のエースの下でしっかり鍛えられてますからな。しっかりと専務のサポートができるでしょう。専務きっとお役に立ちますから私の方からもよろしくお願いしますよ。」

「水沢さん。ありがとうございます。お二人もお幸せに」 壮ちゃんが渉と穂香に笑顔を向けると、渉は作り笑いで答え、穂香は不服そうな顔で視線をそらした。

ふぅ……

目を閉じて深く息を吐く。

まさかこんなところで渉と穂香に会うとは思っていなかった。

身体全体に力が入っていたらしく、彼らが立ち去った後に力が抜けていった。

「大丈夫か?」

静かに呼吸したつもりが、嘆息を聞かれたらしい。

壮ちゃんがわたしの顔を覗き込む。

「あ、うん…。大丈夫。あの…さっきは…ありがと。」

壮ちゃんは柔らかい笑みをたたえ、小さく頷いた。

「あいつか?ピヨ子が会社を辞めた原因」

「ん…」

わたしは短く頷く。

「そうか…見る目ないな」

あざ笑うような口調で呟く。

それはわたしのことか、渉のことか…

何とも答えがたくてわたしは押し黙った。

「さて…疲れただろ。もうそろそろいい頃だし、抜けるか。」

「抜けるって…ここを?」

「ああ。姉貴に言ってくればいいだろ」

まだ大丈夫だけど、と言いかけたが、壮ちゃんは私の手を引いて歩き出した。

希和子ちゃんは5人くらいの人の輪の中にいた。

「姉貴、ピヨ子が疲れたみたいだから先に抜ける」

「あら、そう?」

希和子ちゃんはあでやかな笑顔を向けた。

「日奈ちゃん今日はありがとう。助かったわ。」

「ううん、わたしこそ…」

「ピヨ子、行くぞ」

希和子ちゃんにパーティーのお礼を言う言葉の途中で壮ちゃんが遮り、わたしの腕を引いた。

つかつかと長い脚を繰って大股で歩くので、わたしはちょこちょこと小走りになってついていくのがやっとだ。

エレベーターに乗り、エントランスホールを抜ける。

車寄せにはすでに紺のレクサスがついていて、堤さんがドアの脇に立っていた。

「お疲れ様でございました」

堤さんがそう言って、後部座席の扉を開く。

壮ちゃんはわたしの背中を押して乗るように促した。

後から乗り込んだ壮ちゃんは、ジャケットの裾を直した。

ドアが閉められて堤さんが運転席に乗り込んだ。

「麻布のナインまで行ってくれ。」

「かしこまりました」

車は静かに発進する。

明るく煌びやかな会場と打って変わって、車内は静かだった。

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