18 パーティー会場

汚部屋の主は幼馴染で御曹司

憲一郎さんと百合子さんに続いてエレベーターを降りる。

「日奈、ほら」

壮ちゃんが左腕を差し出す。

ん…?なんのこと?

ふと前を見ると憲一郎さんと百合子さんが腕を組んで先に立って歩いている。

なるほど、そういうことね…

「……失礼します」

おずおずと、壮ちゃんの腕に右手を少しだけかける。

「なんだよそれ」

壮ちゃんは私の手を取ってしっかりと腕に絡ませた。自然と密着する形になって緊張感が増す。

心臓の鼓動が激しくなるのが分かる。

「緊張してるか?」

「うん…ちょっと。」

「心配するな。今日は向こうからくる挨拶を受けるだけだ。おふくろが言ってた通りにこにこしてれば終わる。何かあったら俺が対処するし。それに……あの、なんだ……そのドレス結構似合ってる気がするぞ……?」

ん……?どういうこと?

顔を見ると壮ちゃんは目線を反らした。

「何よ。他に言い方ないの?」

「しらねーよ」

不貞腐れたような言い方が面白くて、わたしは思わず笑ってしまった。

「しかたない。今日だけなんだからね。がんばりますか。」

肩をすくめてから一気に力を抜いた。

「ああ、頼むよ」

憲一郎さんと百合子さんに続いて受付を澄ませる。

会場に足を踏み入れると、周囲の客の目が一斉にわたし達…いや壮ちゃんに降り注ぐのが分かった。

整った顔立ち、均整のとれた体躯にタキシードを身に着けてモデルか俳優かという見栄えだ。

う…視線が痛い……

隣にいるあのちんちくりんは何なんだとでも言うような、女性客からの視線が刺さる。

ちょっと離れたいかも…

そう思って手の力を緩めると、壮ちゃんは右手でわたしの手を取り、自分の腕に絡め直した。

結局先程よりも距離が近くなってしまう。

はぁ…これからパーティーが終わるまで2時間?やっていけるかな…

会場内はすでに多くの人で埋め尽くされていた。

ぐるりと見渡してみると、海外からの賓客も多いようだ。

朝月のヒストリーパネルが会場内に展示されていて、その前では、

顔見知りを見つけて挨拶をしたり、顔を繋ぎたい相手を紹介し合ったりと、あちこちで歓談の輪ができていた。

憲一郎さんと百合子さんもアラブ系の年配の男性に声をかけられ、挨拶を受けている。

定刻になったところでパーティーが始まり、司会の挨拶から、朝月コーポレーションの社長が登壇した。

希和子ちゃんの義父、圭介さんの父は結婚式で顔を見た程度だが、圭介さんとそっくりなころんとした体型のくまのぬいぐるみのような風貌。

丸い眼鏡がよく似合っている。

愛らしい外見とは裏腹に経営手腕に手練れ、相当なやり社長らしい。

来賓者が次々と祝辞を述べる。中には外国大使もおり、憲一郎さんの祝辞もあった。

社員の表彰に続いて、朝月が中東の国との石油輸送を担う新たなプロジェクトが大々的に告知され、会場が湧いた。

この日のために作られたという朝月の歴史を伝えるムービーが流れる中、司会者が食事と歓談の時間を告げる。

会場内のテーブルに食事やお酒が運び込まれ、ステージに集まっていたゲストたちの注目がほどけて散っていく。

さてわたしは一体どうしたらいいのだろう

何か料理を取ってきたらいいのかな?

いや、でも壮ちゃんの傍を離れるわけにはいかないのかな…?

所在なく目線を動かしてしまう。

すると、頭上から声が降ってきた。

「腹減ってるか?食べても大丈夫だぞ」

「壮ちゃんは?何か食べる?あたし取ってくるよ。」

「いや、さっき部屋で軽く食べたから。ピヨ子は食ってないだろう?」

堤さんが、壮ちゃんが食事をロクにとらないと言っていたことを思い出したが、父母と一緒だったからか食事をしたと聞いて、わたしはほっとした。

「うん…。でも大丈夫。このドレスぴったりしてるから。ご飯食べたらお腹出ちゃう。」

わたしは意識して明るく言った。

確かに昼から食べてない。希和子ちゃんはメイク中に軽食を食べていたけど、そのときはお腹が空いていなかったので断った。

でも今食べたら緊張で全部出てしまいそうだ。

そんなやりとりをしていると、1組の男女がわたし達の方に向かってくるのが見えた。

男性の方は大柄で背が高くウェーブのかかった金髪に、茶色の口髭をくわえている。

イタリアの海運王コルレアーニ氏のドラ息子……もとい長男カルロだ。

隣にいる赤いドレスの女性は、妻のジュリア…ではない。

壮ちゃんの方をちらりと見上げる。特に顔色が変わるような様子はないけれど…

わたしは顔を上げて壮ちゃんに囁く。

「カルロ・コルレアーニ。女性はモデル兼インフルエンサーのフランチェスカ。先月交際開始。」

コルレアーニ氏がわたし達の目の前にやってくる。

「やぁ、ソウイチロウ。久しぶりだね。さっき君のお父さんに挨拶したんだよ。そうしたら君が日本に帰ってきてるってきいたからさ。」

そう言いながら握手をする。

「久しぶりですね。カルロ。フランチェスカもようこそ。カルロとは京都のパーティー以来ですか。今回も日本を楽しんでます?」

名前を呼ばれたフランチェスカは身体をしならせ、長いまつ毛をくいとあげて気色ばんだ。

「いやぁ。今日も10日前に来てね。秋葉原に行ったり、池袋に行ったりしていたんだよ」

「良いものが手に入りましたか」

わたしは、遠山さんから渡された招待客ファイルの内容を思い出していた。

カルロは、無類の日本アニメファンなのだ。

「なかなかの掘り出し物が見つかったよ。通販もやるけどやはり自分の目で見ないとな。いやぁ。日本は最高だよ。食事はおいしいし。女性はかわいいし。そちらのお嬢さんも、ね。」

コルレアーニ氏はわたしに向かって片目をつぶった。

うわぁ。さすがイタリアの伊達男…

「あぁ、こちらは…」

壮ちゃんが口を開くが、わたしは言葉を遮るように言った。

「”秘書補佐”の笹森です。」

「秘書…補佐?」

「ええ。」

「へぇ。ソウイチロウはこんな可愛い女性を秘書にしているのかぁ…」

口髭をさすって、わたしに笑顔を向ける。

彼の言葉にいやらしさは全くないが、フランチェスカの眉毛がぴくりと吊り上がったのはわかった。

「ありがとうございます。でも…フランチェスカさんの美しさには足元にも及びません。そのドレスはアリアティーニの新作ですか?」

「ええそうよ」

フランチェスカの顔色がパッと明るくなった。

「あなたのためのドレスのようですね」

あまりに見え透いたお世辞だと思ったが、ゆるくウェーブのかかった栗毛のイタリア女性にはお気に召したらしい。

「ありがと。あなたのドレスも素敵よ」

ふふん、と真っ赤なルージュを引いた口元を上げて笑みを浮かべる。

コルレアーニ氏は、満足気な表情を浮かべている。

「いや、君とかわいいお嬢さんに会えて良かったよ。そうだ、君のお姉さんにも挨拶しておかないと。じゃあ、またね。」

そう言ってわたしに向かってまた片目をつぶる。

コルレアーニ氏は、フランチェスカの腰に手を回し、わたしたちから離れて行った。

ふぅ…やれやれ

わたしは小さく息を吐いた。

5分も話をしていないはずなのにかなりの時間が経ったような気がする。

「よくわかったな」

壮ちゃんが小さな声で言った。

「ん?あぁ…フランチェスカさん?昨日遠山さんに名簿をもらって。ついでにゴシップサイト見たらコルレアーニ氏が彼女と交際始めたって出てたの。フランチェスカが、アリアティーニのアンバサダーに就任したっていうのも載ってたんだよね」

「そうか。…よくやった」

壮ちゃんはそう言って、柔らかく微笑み、わたしの頭をポンポンとたたいた。

「だから…子供扱いしないでってば」

「悪い悪い」

壮ちゃんはちっとも悪びれない様子で笑っている。

「もう…」

わたしが文句を言いかけたとき、わたし達の前に女性が現れた。

希和子ちゃんだ。

「あー。疲れるわぁ。日奈ちゃん、大丈夫?」

「あ、うん。何とか…」

「カルロ・コルレアーニが来たでしょ。あの男また違う女連れてたわね。ったく。そのくせに私のところに来てシチリアの別荘にこないか、ですって。気持ち悪いったらないわ。あーやだやだ」

「姉貴…義兄さんは?」

「インドネシアの国営企業の社長と話してる。つまんないから飲み物をとってくるって出て来たの」

いたずらっぽく微笑む。

「宮野専務。こちらでしたか。ああ、副社長の奥様も」

今度は恰幅のいい男性が声をかけてきた。夕陽銀行の頭取、亀山氏だ。隣に美しい若い女性を連れている。秘書の人だろうか。

「まぁ亀山様。お忙しいところおいでくださって。」

希和子ちゃんは、奥様らしく上品に返す。先程と打って変わった様子にちょっと戸惑いを覚えた。

頭取は、希和子ちゃんと会話をしながらもなぜかわたしの方にちらちらと視線を向けてくる。品定めするような刺さる視線だ。そして隣の女性も。

「あの宮野専務…そちらの方は?」

頭取がわたしの方に視線を向けた。

「あぁ。彼女は私の秘書です」

「秘書…ですか」

亀山頭取は、訝し気な顔をしている。

無理もない。秘書というにはドレスが派手だもの。

「笹森日奈と申します。この職に就いたばかりでして。至らない点が多いかと思いますがよろしくお願い致します」

わたしは丁寧に礼をした。

家政婦が大銀行の頭取によろしくすることなど何もないとは思うのだけど。

これでいいかと壮ちゃんに視線を向けると、壮ちゃんはわたしの顔をみて柔らかく微笑んだ。

視線を正面に向けると頭取はほっとしたような顔をしている。

そうそう。わたしはただの秘書補佐ですよ。

「そうですか。いやぁ、私はてっきり…。いや、専務の秘書は男性ばかりのようでしたから意外でしてな」

てっきり、何だと思ったのだろう。

「ええ。第三秘書まで全員男ですよ。女性は色々と煩わしいことが多くて。ですが…彼女は特別です。」

そう言って壮ちゃんはわたしの腰の辺りに手をやってぐいっと自分の方へと引き寄せる。

い、いきなり何?

目をぱちぱちさせて壮ちゃんを見る。そして、前の2人に目をやると、引きつった顔をしていた。

ちょ、ちょっと近いんですけど?

「彼女のことは小さい頃から知っていまして。私は他人に領域を荒らされるのが得意でないのですが、彼女はそれが気にならない数少ない女性なんです」

なんだか潔癖症で他人を受け付けないように言っているが、この間までどうにもならない汚部屋の主だった。

「専務にとって…特別な…」

頭取が言葉を絞り出す。

「ええ、そうなんですのよ」希和子ちゃんが割って入ってきた。

「こちら、ごらんになって?」

希和子ちゃんが、私の手を取って、多重になったパールのブレスレットを掲げる。

「宮野の曾祖母が曽祖父から贈られたものなんですよ。このネックレスも。代々娘が受け継いでいたもので、私が持っていたのですけど。結婚して家を出ましたし、使うこともないから。」

そう言って希和子ちゃんはにっこりと微笑んだ。

わたしは頬が引きつるのを感じた。

年代物だろうとは思っていたが、やっぱりそんな大事なものだったのか

自分の手と首にぶら下がっているものだ途端に恐ろしいものに思えた。

「そ、そうだったのですか。いや、専務にそんな方がいらっしゃるとは思っておりませんで…。実は専務にうちの娘をご紹介したいと思って連れてきたのですが…」

そう言って頭取は隣の女性の腕に触れた。

そうか。この人は頭取の娘だったのか。

彼女はイラっとしたような様子でわたしを一瞥した。

「もういいわよ。お父様、行きましょ」

「え?あ、あぁ。では奥様、専務。失礼いたしました」

お嬢さんが先に立って行く。頭取は慌てて会釈して後を追った。

2人が行ってしまい、壮ちゃんはわたしの身体に回していた手を緩めた。

ようやく解放されて、、ふぅと小さく息を吐く。

「ちょっと…今の何なのよ」

「匂わせ、ってやつだろ」

「ええ? 匂わせどころじゃなかった気が…」

”特別”とか言っちゃったりして…

恥ずかしくていたたまれない気持ちになる。

「いいのよ。あれくらい。」

希和子ちゃんが割って入る。

「あのくらいやらないと来週にはあのド派手女と見合いが組まれてるわよ。あの頭取本当強引なんだから。」

吐き捨てるように言った。

「姉貴、助かったよ」

「いいのよ。それにしてもそのブレスレット、中々役に立つわね」

「ね、希和子ちゃん、さっき言ってたのって本当?」

「何が?」

「宮野の曾祖母様のって…」

「ほんとよ」

うげ…

うわぁ、とあからさまに顔をゆがめる。

「大丈夫。古いだけで大して価値ないわよ」

うそだ。絶対。稀少なものに違いない。

一刻も早く外したい……

ブレスレットに手をかけた時、壮ちゃんに手を掴まれた。

「パーティーが終わるまでは外すなよ?」

「うぐっ……わかったわよ」

不本意だが我慢するしかない。

「日奈」

声をかけられて顔をあげる。

「さっきみたいに自己紹介とあいさつだけでいい。後は俺が対応する」

「対応する、って…。なんかあたしたちが、その…付き合ってる、みたいなことになっちゃってるじゃない」

「別に俺は何も言ってない。あっちが勝手に思い込んだだけだ。匂わせってそういうことだろ」

「えぇ…何それ」

「ごめんね。日奈ちゃん。私たち親族も壮一郎を紹介しろっていう人たちにもううんざりしているの。もう、こりごりなのよ。まったく、壮一郎がさっさと相手見つけてくれたらこんなことしなくていいんだけど…」

希和子ちゃんが頬に手をやって顔を傾ける。

「ほんとだよ。そうして。あたし、もうやらないからね。美人さんに睨まれるの胃がキリキリするもん。休日出勤手当の割に合わないし…。」

「うるさいな。仕事だろ」

「だから、これっきりにしてよね」

「知らねえ」

希和子ちゃんはわたし達のやり取りをじっと見ていた。

「まぁ、とにかく。日奈ちゃん今日は頑張ってね。」

希和子ちゃんはそう言って手を振って立ち去る。

「ええ…希和子ちゃん、おいて行かないで…」

「ほら、ピヨ子。またやってきたぞ。」

壮ちゃんがあごで指す方を見ると、50代くらいの夫婦が、振袖をきた女性を伴って向かってきた。

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