「笹森様、お待ちしておりました」
ここのオーナーだという女性が迎えてくれる。
上下黒を基調とした制服に、首元にスカーフを巻いている。長い髪をアップに巻き上げていて、CAのようにも見えた。
「朝月様はさきほどおつきになりまして、スパの方に入られています。笹森様もまずはそちらに」
「は、はぁ」
じゃ、よろしくねとスタッフの女性3人に引き渡され、あれよあれよという間に身ぐるみはがされた。
では、ごゆっくり、とバスに放り込まれる。
ヒーリングミュージックのかかるバスルームでバスタブに身を沈めた。
爽やかでフレッシュな柑橘系の香りがする。その中にスイレンの甘い香りがして、光が煌めく庭園の池を思わせた。
この香りは、懐かしい香りだ。
昔、希和子ちゃんから良い香りがして、これは何の香りかと尋ねた。
教えてくれたのが、オレンジブロッサムのこの香り。
コロンをつけるにはまだ早いから、とくれたハンドクリームを、チビチビと使っていた。
クリームを塗った手の匂いをかいでは幸せな気分に浸っていたことを思い出す。
「そろそろこちらによろしいでしょうか」
「あ、はい」
セラピストさんに声をかけられ、バスタブから出た。
ベッドに寝かされ、顔から足のつま先にいたるまで全身をトリートメントされる。
心地の良い音楽と、アロマの薫り。
ほどよい力加減のマッサージで、うつらううつらとする。
トリートメントが終わると、バスローブを着せられ隣の部屋へと案内された。
「あ、日奈ちゃん」
部屋に入ると、同じバスローブ姿の希和子ちゃんがソファに座っていた。
「久しぶりね」
希和子ちゃんがソファの席を空けて、ポンポンと叩く。
スタッフの人がティーカップをわたしの前に置いた。
「本当…久しぶり。こんな格好で…」
「あはは。いいのよ。お互い様よ。あまり時間がないから先にスパにしてもらったの」
目鼻立ちがくっきりした美人。すっぴんとは思えない美しさだ。9頭身はあろうかというスタイルが良くてかっこいい大人の女性。
だが、口を開けて笑う姿は飾り気がなく、かえってその魅力を際立たせている。
生粋のお嬢様で、今や業界最大手の企業の次期社長夫人。
昔から驕ったところなどなく、気さくで格好のいい人だ。わたしにも優しくていつも親切だった。
希和子ちゃんのようになりたいと思っていた。幼い頃からの憧れ。
あぁ、そうか。文さんと似てるんだ……
ふと、会社の時の先輩、重原文さんを思い出す。
「希和子ちゃん…わたし、パーティーとか希和子ちゃんの結婚式以来だからよく分からなくて」
「大丈夫よ。任せて。壮一郎からもくれぐれも頼むって言われてるから。そうね。時間もないし、ドレスを選びましょうか。さっき、日奈ちゃんに似合いそうなのいくつか見繕っておいたから。」
希和子ちゃんがお店の人に声をかけると、数人がかりで、ドレスのかかったハンガーラックが部屋に運び込まれてきた。
「ほら、これとかどう?」
希和子ちゃんがハンガーラックから手にとったのは、胸元にざっくりとVラインの入ったワインレッドのドレス。一見ロングドレスだが、脚の部分は薄いチュールがかかっているだけの実質ミニドレスだ。
「希和子ちゃん…。これ胸半分出るよね?脚も剥き出しだし…」
「大丈夫よ。海外からの人も多いからこれくらい大胆でも。せっかくいいモノ持ってるんだから、出していかなきゃ」
「無理だってば」
両手を振って拒否をする。
「なんでよー。絶対に似合うのに」
希和子ちゃんは渋々ラックにドレスを戻した。
「わたし、秘書補佐として出席するから、もっと地味な黒とか、紺とかがいいと思うんだけど…ほら、これとか」
わたしは黒のベアトップのロングドレスを引っ張り出して身体にあててみせた。
肩のあたりは露出しているが、胸元も高いし、脚も隠れている。
「シンプルなのも似合うとは思うけど、若いんだからもうちょっと華やかにしなきゃ。特に今日は、ね」
「……?」
「あぁ、主催者の身内のパートナーなんだから、ってこと。あまり地味にしたら着飾ってきたお客様が居心地悪いでしょ?」
「…なるほど」
希和子ちゃんの言葉に含みがあるようで、少し訝しく思ったが、説明には納得した。
「じゃあ、こっちは?これがいいんじゃない?」
希和子ちゃんがラックから一つのドレスを手に取って見せた。
少しくすんだパープルのドレス。
総レースのひざ下丈で、袖部分と首元がレース生地で繋がっている。
エレガントで、秋らしい上品さもある。
だが、肩、胸元、背中のレースが薄く、透け感がある。
「色はかわいいけど…なんか透けてない?」
「このくらい平気よ。日奈ちゃん背中もきれいだし。まだダンスやってるの?」
「全然。大学も文芸サークルだし」
わたしは肩をすくめた。
「そっか。私も圭介が忙しくなっちゃってすっかり足が遠のいてね。他の人とパートナー組んだらヤキモチやいちゃうから」
「そりゃそうだよ」
希和子ちゃんのようになりたくて、真似して同じ習い事をやっていた。小さい頃はバレエにピアノ。高校生になって社交ダンス。お茶にお花、日舞、礼儀作法なんかもかじった。
どれも大して上手くなかったし、もちろん希和子ちゃんのようになれるはずもなかった。
「とにかく、ドレスはこれにしましょ。壮一郎もこのデザインなら心配ないでしょ」
「別に壮ちゃんはわたしが何を着ていても気にしないと思うけどね」
わたしがそう言うと希和子ちゃんは少し不思議そうな顔をした。
「お決まりでしたら、ヘアメイクにかからせていただきますが」
「あ、そうね。のんびりしてられないんだったわ。この子のドレスはこれでお願い。」
「かしこまりました。では、こちらへ」
サロンのスタッフが声をかけてきて、希和子ちゃんについて別の部屋に移動する。
一面の大きな鏡の前に、希和子ちゃんと並んで席に着いた。
色とりどりのメイク用品が並んでいる。わたしと希和子ちゃんそれぞれにスタッフがついた。
希和子ちゃんは慣れた様子でそのスタッフと談笑している。
「秋らしい感じにしてちょうだい。この子もね。今日のパーティーを手伝ってもらうことになって。小さい頃から知っていて妹も同然なのよ。可愛くしてあげてね。」
「もちろんでございます。パーティーの華になるようにとびきり愛らしく仕上げさせていただきます」
サロンの人が極上の笑顔で微笑んでくれる。
いや……そんなそこまで求めてないんだけど……
「よ…よろしくお願いします」
わたしは戸惑いながら頭を下げた。
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