17 控室にて

汚部屋の主は幼馴染で御曹司

2時間かけて仕上がった鏡の中の自分はまるで別人だった。

いつもの垢ぬけないわたしと同一人物とは思えない、大人の女性がそこにいた。

緩くアップにしたヘアからうなじにおくれ毛がかかる。

秋らしく重厚感のあるメイクだが、エレガントで上品。

ただ…

着る前からあやしいと思っていたのだが、やっぱり、肩や胸元、背中はかなりざっくりと開いていて

チュールがかかっているとはいえ大胆なデザインだった。

「日奈ちゃん!いいじゃない!思ってた通り…いえ、それ以上ね。可愛い、可愛い。」

希和子ちゃんが手を叩いている。

「前にドレス姿を見たのは…8年前だったかしら?まだ高校生だったものね。すっかり大人っぽくなって…。それに…思った以上に育ったわね。」

目線をわたしの胸元に落とす。

「いや…これは…太っただけで…」

「そんなことないわよ。変わらずほっそりしてるもの。ほら後ろを向いて?背中だって変わらず綺麗だもの。姿勢が身に着いているからだわ。いやぁこれは壮一郎もそわそわしちゃうな…」

そもそも、壮ちゃんはわたしがどんな格好をしようと、そわそわなんぞするはずがない。

わたしは、彼にとって小さい頃から知っている、というだけのただの幼なじみなのだから。

「希和子ちゃんもすっごく似合ってる」

わたしは、希和子ちゃんのドレスに話を移すことにした。

ダークグリーンの繊細な総レースのドレス。長袖だが、デコルテは露出していて大人の色気が漂う女性らしい華やかでエレガントなスタイルだ。

「圭介さんが惚れ直しちゃうね」

「そう?褒めてくれそう?」

「そりゃそうだよ」

ウキウキと嬉しそうにする様子に思わず頬が緩む。

結婚して8年。結婚式以来会っていなかったが、この夫婦はいつまでたっても新婚のときと変わらないのだろう。

「あ、日奈ちゃんアクセサリーはこれを使ってね」

希和子ちゃんが取り出したのは、2連のパールのネックレス。トップにぽってりとした大粒のパールがついている。

「それと…これね」

続いて3連のパールのブレスレットが出てきた。

「これって…」

「あぁ。気にしないで。わたしが使ってないネックレスを持ってきただけよ。ほら、パールだったらどんなドレスにも合うから」

希和子ちゃんがわたしの首にネックレスをあてパチンと金具を留めてくれた。ブレスレットが左手にはまる。見たことないほど大きなパールが3連を成している。

しかもみるからに年代物だ。わたしはちょっと恐ろしくなった。

「さて、そろそろ行きましょうか。」

わたし達は駐車場でずっと待っていてくれた堤さんが運転する車に乗り込んだ。

堤さんはわたしのあまりの変わりように驚いたようで、バックミラーごしにわたしの姿を何度も確認していた。

会場の帝都ホテルの車寄せに、紺のレクサスは滑り込むように止まった。

サロンで借りた小さなパーティーバッグを持って、希和子ちゃんと共に車を降りる。

ホテルのエントランスは老舗の高級ホテルらしい重厚感にあふれていた。金の薔薇のようなシャンデリアが垂れさがり、華やかな装花が活けてある。花の後方、左右から階段が二階へと続いている。

高級老舗ホテルの歴史と伝統の重みをひしひしと感じる。

アナスタシアとマムの花を丸くドーム状に活けた装花が愛らしく、心を和ませてくれた。

「日奈ちゃん、こっちよ」

思わず見とれてしまって、希和子ちゃんの声で我に返る。

ロビーの奥にあるエレベーターに乗り込むと、希和子ちゃんが係員に行先を告げた。

エレベーターが動き始めると同時にわたしの心臓の音が速くなる気がした。

あ…緊張してきちゃった…

苦い記憶の味が戻ってくるような感覚。

手に汗がじんわりとにじみ出る。身体の前で組んだ手に力が入った。

「日奈ちゃん。そんなに緊張しなくても大丈夫よ。あなたはにっこり笑って相づち打っておくだけでいいの」

希和子ちゃんがわたしの不安を汲み取って、手を取り、自分の手を重ねる。

「ごめんね…久しぶりだから緊張しちゃったみたい」

ふるふると希和子ちゃんが首を振る。

「無理を言って出席するようにお願いしたのはこちらだもの。いいのよ。当然よね。私こそごめんね。日奈ちゃんとパーティーだと思って楽しくなっちゃった。」

フフッと希和子ちゃんは美しく笑った。

わたしの不安を取り除こうと明るく振舞ってくれる優しさが嬉しい。

そうだ。今日1日だけなんだから。しかもこれは仕事。しっかりしなきゃ。

「ね、希和子ちゃん、会場って…」

「ああ。まだ時間があるから。控室にスイートルームをとってあるのよ。圭介さんとはそこで合流するの。朝月の両親も来ているし、宮野の両親も、壮一郎ともそこで待ち合わせているの」

「うちの両親なんか、びっくりすると思うわよ。もちろん、壮一郎も」

「そんなわけないよ」

壮ちゃんがチラリとでもわたしのことを可愛いと思ってくれたら…

昔はずっとそう思っていた。

あの時以来、もはやそんな願いは微塵も抱いていない。

わたしは心臓の奥がちくりと痛むのを感じた。

エレベーターは最上階に到着し、ドアが開く。

希和子ちゃんに続いて歩いていく。希和子ちゃんが1つの客室の呼び鈴を鳴らすと、扉は中から開いた。

扉を開けたのは、壮ちゃんと希和子ちゃんの父、憲一郎氏だった。

「お父さん。日奈ちゃんを連れて来たわ」

「ご苦労だな。まぁ入りなさい。あぁ、日奈ちゃん、久しぶりだね。おや、ずいぶん綺麗になって…」

「お父さん、いいから。中に入れてあげてよ」

「あぁ、そうだな」

希和子ちゃんに急かされるようにして、わたしは部屋の中に入った。

スイートルームの広いリビングルームに、百合子さんと壮ちゃんがいる。

「お母さん、壮一郎も。お待たせ。日奈ちゃんを連れてきたわ。ねぇ。見て、すっごく可愛いでしょ。」

希和子ちゃんがわたしの肩に手を置き、ずいっと2人の前に出した。

「まぁ!ほんと。可愛いこと。綺麗よ、とても。」

百合子さんが、着物の袖口を合わせるようにして手をたたく。

「いやぁ。小さかった日奈ちゃんが、こんなに綺麗になって…。見違えたもんだ。義雄が見たら腰をぬかしそうだな。ははは。」

憲一郎さんは、私の父の名を出して豪快に笑った。

だけど……

壮ちゃんだけは何も言わずに押し黙り、何やら不機嫌そうな顔で私を見ていた。

「ほら、壮一郎、日奈ちゃんどう?可愛いでしょ?」

「ああ…馬子にも衣装ってやつだな」

鼻で笑うように言う。

「ほんと失礼しちゃう」

予想通り。

わたしがどんな格好をしていようが、意にも留めない。

最初から分かっていたこと。

でも…どうして胸の奥に痛みを感じるんだろう。

「そうだ。美奈ちゃんに写真を送りましょ。きっとびっくりするわ。ほら、日奈ちゃん、ちょっとそこに立って。希和子も、壮一郎も。」

百合子さんは鞄からスマホを取り出した。

3人で並んで写真を撮ってもらう。笑顔を作りながらも、隣にたつ壮ちゃんの様子がが気にかかる。

「じゃあ、あたし向こうに行って圭一さんと落ち合ってくる。先に会場に行ってるから。後でね。」

そういって希和子ちゃんは部屋を出て行った。入れ替わりにグレイヘアの男性が、ルームサービスの紅茶をワゴンで運んできた。

男性は丁寧にテーブルに紅茶を並べていく。完璧なマナーに一瞬ホテルのスタッフかと思ったが、

その人の顔には覚えがあった。

「ああ、日奈ちゃん。これは葛西だよ。前に会ったことがあったかな」

憲一郎さんがわたしと男性を交互に見て聞いた。

鋭い目つき。ごまかしや油断を決して許さないという厳しい表情。

年齢を重ねて、その厳しさには拍車がかかっているように思える。

「はい。以前…」

「ご無沙汰しております。笹原さん。」

葛西さんは表情を変えずに礼をしたので、わたしも礼を返した。

「以前は家のこともやってもらっていたからね。その後私の秘書をやって、今は壮一郎の第一秘書だ。職務上は日奈ちゃんの上司にもあたるのかな」

うげ……

「そう…ですね。よろしくお願いいたします」

「こちらこそ。専務の身の回りのことは遠山に任せておりますので、私が直接指示をすることはありませんが。」

葛西さんは、事務的な口調でそう言った。

ええ…そうして頂けると助かります

葛西さんは幼い頃の壮ちゃんの教育係というかお目付け役だった。

遠山さんも爬虫類系の冷血さがある人だが、この人は輪をかけて冷酷な雰囲気がある。

蛇のように狡猾で獰猛。

ともすれば子供たちに甘いところもある憲一郎さんや百合子さんに対して、壮ちゃんに対しては厳しく接する人だった。

ただ、宮野家の人たちを主とし、絶対に守るのだという固い信念がその根本にあることは感じられた。

一方で部外者は害をなすものとして排除するような雰囲気があって、わたしなんかはその最たるものだった。

虫けらでも見るような目で見られた幼い頃の記憶がフラッシュバックする。

「大丈夫か?」

下を向き、唇をぎゅっと噛んでいたわたしを壮ちゃんが覗き込む。

「え…?あ、うん。大丈夫。」

咄嗟に顔を上げて、うなずく。

「緊張してきたか?」

「そんなことは…ん…そうかも」

「大丈夫よ。日奈ちゃん、あなたはにこにこして適当に相槌をうっていればいいの。」

百合子さんが希和子ちゃんと同じことを言う。

「さすがに…そういうわけにはいきませんよね?」

「そんなことないわ。だってこんなに可愛いんだもの。そこにいるだけでいいのよ。みんな勝手に褒めてくれるから。ねぇ、壮一郎?」

「あ、あぁ」

壮ちゃんは生半可な返事をする。顔を見たらぷいと横に逸らしてしまった。

百合子さんはにこやかに微笑んでいる。

「皆さま、そろそろ時間でございます」

部屋に入ってきた遠山さんがわたし達に声をかけた。

「え?あ…日奈ちゃん?すごいね。見違えた。綺麗だねー」

遠山さんが素に戻ったように言う。

「ね。すごいですよね。プロの腕ですよ」

「へー。いやー、すごいすごい。可愛い可愛い」

「ありがとうございます」

葛西さんと会った後だからか、ニガテだと思っていた遠山さんがずっと話しやすいと感じる。

エレベーターホールでは、憲一郎さんと百合子さんが前に立ち、わたしは壮ちゃんの後ろに並んで遠山さんと話す。

「ドレスは日奈ちゃんが選んだの?」

「いえいえ。希和子さんの見立てですよ。」

「あぁ、さすがだ。センスあるなぁ」

「ちょっと恥ずかしいんですけどね」

露出の多い肩やデコルテのあたりをさする。

「そんなことないよ。似合ってるよ。」

「ありがとうございます」

エレベーターが到着し、憲一郎さんが百合子さん先に乗せ、自分も乗り込む。壮ちゃんに続いて乗ろうとした時、壮ちゃんがふっと振り返った。

手をぐいと引かれ、わたしを前に出した。

へ…?

いきなり何?

壮ちゃんの顔を見ると顎をくいと上げ、乗るようにと促された。

何なのよいったい…

乗り込むと、百合子さんと並ぶようにして、エレベーターの奥に押しやられた。

中では皆が押し黙っていた。

狭くないエレベーターなのに、壮ちゃんはわたしのすぐ前に立っている。頭の上から息遣いが聞こえるほどの距離にちょっとドキドキしてしまう。

パーティー会場のある2階にエレベーターが着いた。

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