14 秘書補佐業務

汚部屋の主は幼馴染で御曹司

やむにやまれず始めた家政婦の仕事だったが、1か月もすればすっかり慣れてきた。

広い窓の掃除も毎回やっていれば筋肉痛にもならなくなってきた。

じりじりと照り付けていた夏の日差しがやわらぎ、涼やかな風が吹くようになってきている。厳しい夏が終わりを告げようとしていた。

コンシェルジュの石井さんと世間話をして、エレベーターで最上階に上がる。

一歩リビングに入れば、大きな窓に広がる東京の街並。

腫れた日には、窓の上半分が青空で埋め尽くされ、日が暮れてくるにつれて茜色に染まる。

周りを建物に囲まれ、幹線道路に面していて騒音が絶えないわたしのマンションから見える景色とは大違い。

晴れやかで、開放的な気分にさせてくれる。

「さて、今日もやりますか」

わたしは両手を組んで頭の上で伸ばし、肩を回した。

気合を入れたところで掃除に取り掛かる。広い部屋とはいえ、男の一人暮らしで仕事量としては多くない。しかも自分のペースでできる。他人の予定に合わせて資料を急いで仕上げることもない。

誰とも話さず、ただ黙々と作業をする。これまでとは全く違う仕事のやり方だが、次第になれてきた。

週に3回出勤するだけで、残りは自由。しかも前の会社の給料の倍近くをもらっている。文句を言う方が変だ。

掃除と洗濯を終えて、わたしは資料の整理に取り掛かる。

機密事項がたっぷり入った書類を、項目ごとにデータベースと照らし合わせ、シュレッダーにかける。会社でも使っていた業務用シュレッダーを遠山さんにお願いして良かった。100枚単位で自動で用紙を送ってくれるし、ホッチキス止めしてあってもそのままかけられる。

「ガガッガガー」

力強い機械音を聞きながら、作業を黙々と進めていく。

遠山さんが用意してくれた私の肩書は

「第二秘書補佐」

実態は、家政婦ですけどね……

だが、この仕事のおかげでできた時間を活かして、秘書検定とパソコン関連の資格も取ったので、肩書に見合う……はず。

「さて、と。今日はここまでにするか」

山のように積み上がっていた書類の量もあと一束くらいになっている。ここへくる度に増えていたが、ようやくわたしの処理が追い付いてきたらしい。

満足気な気分になってリビングに戻ると、オレンジ色の西日が差し込んでいた。

帰り支度をしながら、クリーニングの袋を詰める。

「お腹すいたな……何か食べて帰ろうかな? いや、ダメダメ。引っ越し代貯めなきゃ。節約、節約。スーパー寄って帰ろう」

独り言をいいながら、かばんとクリーニングの袋を抱え、玄関ホールに向かおうとしたときだった。

玄関ドアがウィーンと機械音を立てる。ガチャリと鍵の開く音がした。

え……?開いた?

うそ?もしかして泥棒?

まって。このクリーニングの袋で応戦できる?

あ、隠れた方がいい?

咄嗟に袋を掲げて後ろに隠れた。

ところが。

扉が開いて入ってきたのは部屋の主だった。

「え?壮ちゃん……?」

先週も1週間出張でいなかったし、3か月近く顔を合わせていなかったから、まさかこんな時間に帰ってくるとは思わなかった。

びっくりして目をぱちぱちさせていると、

「何だよ。帰ってきて悪いか」

と不満そうに言われた。

「いや……まさかこんなに早く帰ってくると思ってなかったからさ」

「ピヨ子に話があるから帰ってきたんだ。間に合ってよかった」

「あたし?」

「ああ」

今まさに帰ろうとしていたところだったんですけど……

だが仕方ないので、クリーニングの袋を玄関に置き、さっさとリビングへ向かう壮ちゃんの後を追った。

壮ちゃんはソファにスーツの上着をバサッと無造作に置き、右手で首元のネクタイを緩める。カフスボタンを外して腕をまくった。

頼みたいことって何……?

聞き出すような雰囲気でもなく、壮ちゃんの動作を目で追う。

「あ、何か飲む?」

わたしは咄嗟にそう言った。

「コーヒー、いれようか?」

「いや、水がいい」

冷蔵庫からミネラルウォーターのボトルを出して、手渡した。

ソファに身体と沈め、ボトルのキャップを捻ってゴクゴクと飲み干す。

首筋の動きがやけに艶っぽく、思わずドキリとしてしまう。

3分の1ほど飲んだところで、ガラステーブルにペットボトルを置いた。

そしてボーっと立ち尽くすわたしの方に向き直る。

「こっち、座って」

自分が座るソファを指す。

「う、うん」

話ってなんだろう?

仕事クビになる?

資料整理何か失敗した?

何の話か検討がつかず、色んな考えが頭の中をめぐる。

わたしはおずおずとソファに腰かけた。

「朝月コーポレーションを知ってるな?」

静まり返った部屋に低い声が響く。

「あぁ…希和子ちゃんの…」

希和子ちゃんの旦那様は朝月コーポレーションの令息。

日本の流通を一手に引き受ける大企業だ。

「そうだ。今は義兄が副社長を務めている。その朝月主催のパーティーが来週ある。そこに行ってほしい」

「ぜったいに嫌」

わたしはきっぱりと言った。

壮ちゃんは切れ長の目を見開いてわたしを見る。

「何でそんなはっきり……?一人で行くんじゃないぞ?俺と一緒に……」

「よけいに嫌」

「……」

「何でだよ?ドレスが着れて美味しいものが食べられるって、喜んで行ってたじゃないか」

「まぁ、昔はね。子どもだったから子ども向けパーティーだもの。今はああいうところ嫌いなの。話はそれだけ?ならあたし、時間だから帰るよ」

ソファから立ち上がろうとする。

「ちょ、ちょっと待て。俺の話も聞いてくれ」

肩を掴まれ、ソファに押し戻される。

「聞いたって一緒だよ」

「まぁそういうなよ」

なだめるように言う。わたしは溜息をついて、ソファに座り直した。

「俺だってああいうところは好きじゃない。面倒だからできれば避けたいくらいだ」

「じゃあ……」

「だが、義兄の会社の創立50年の記念式典だ。各国の大使に本国からお偉い方もやってくる。出席しないわけにはいかない。」

「……でも日本でやるんだからパートナーなしでも問題ないでしょ」

「……この歳になると、結婚しろと周りがうるさくてな。ことあるごとに娘やら孫やらと見合いを組ませようとしてくる。」

MIYANOの跡取り息子ならそりゃあそうだ。

「アメリカに行ってるときだってひっきりなしだったんだ。日本に帰ってから考えるといってずっと断ってきたが、いい加減にうんざりだ。しかも今回は大掛かりな会で、主催者の身内だ。途中で退席するわけにいかない。パートナーなしで行ったらどんな目に遭うかわかったものじゃない」

腿に肘をつき、右手で髪を掻き上げ、重い息を吐く。

「つまり……パーティーでの女除けが必要だと」

「……まぁそんなところだ」

「そんなの頼めば行ってくれる人いくらでもいるでしょ。」

モデルだの、女優だの、どこかの令嬢だの。昔から壮ちゃんの周りにそんな人がたくさんいた。

「まぁ、肩書とか容姿につられて寄ってくる人間はいくらでもいる。だが、その場限りで見繕った相手だと、向こうも見抜くのさ。」

「じゃあ、なんでわたし……」

「ピヨ子なら昔から知ってるからな。財界人というやつは古くからの付き合いを大事にする。幼い頃からの関係だと知ればわざわざ娘を押し売りしてはこないだろ」

「……何、その流行りの偽装結婚みたいなの」

 壮ちゃんはちょっと不思議そうな顔をした後、ククッと笑った。

「そんなんじゃない。第二秘書補佐として出席してもらうさ」

そうだろ?と壮ちゃんは笑みを浮かべながらわたしを流し見た。

(そうでした……)

そんな肩書があったんだった。

「じゃあ……これは仕事ってこと?」

(業務命令なら仕方ない……)

壮ちゃんは私の顔を見る。

「そういうことだな」

「……わかった」

わたしは溜息まじりにそう答えた。

「そうか。助かるよ。ありがとう」

壮ちゃんは明るい声でそう言った。

「パーティーは来週の土曜だ。休日で悪いな。当日は迎えに行かせるから。時間は後で知らせるよ」

「……わかった」

 絶対行きたくないのに。

引き受けちゃった……

業務だって言われたら仕方ないか……。

でも気が進まないな……

面倒なことになったなと重たい足取りで家に帰った。

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