4 別れ

汚部屋の主は幼馴染で御曹司

「日奈、俺たち…別れた方がいいと思うんだ。」

仕事終わりに話がしたちとと呼び出されたホテルのバーで、渉がそう切り出したのは2週間前のことだった。

「ずるい言い方だね。別れたいってそう言えばいいのに」

渉は少し眉間に皺を寄せ、口を真一文字に結んだ。

黙っているつもりなのだろうか。わたしは言葉をつづけた。

「穂香なんでしょ?」

問い詰めるつもりはない。ただの確認だ。

渉の横から顔を覗き込む。せめて真正面から顔を見て話がしたかった。

だが、渉は、目を伏せたまま顔を横に向けたままだ。

そして、長い沈黙の後、

「……ああ」

とだけ短く言った。

 わたしは深いため息をついた。

「……式場キャンセルしなきゃ。仲人お願いしていた常務にもご連絡しないと。」

渉は肘をついて手のひらに額をこすりつけた。

「……そういうとこだよ」

「え…?」

「こういうときは、なんで?どうして?とか言って泣きわめいたり、すがりついたりするもんだろ?日奈は顔はかわいいのに、中身はまったく可愛げがないんだよな。甘えたりしてくれれば多少は可愛げってもんがあるのにさ。それに……」

わたしは渉の目を見た。彼が言おうとすることは分かっている。でも渉はそれ以上言わなかった。自分から裏切りを認めることになるからだ。渉はそこまで馬鹿ではないらしい。

「……とにかく、そういうことだよ。あぁ…キャンセルとか…俺が全部やるから。じゃあな。俺、行くわ。」

 そう言って渉は席を立った。

残されたわたしは目の前にある手つかずのカシスオレンジを喉の奥に一気に流し込んだ。涙が一滴も出ないのは、もう終わりが分かっていたからなのか、それとも渉が去っても惜しくないほど彼のことが好きではなかったのか。どちらとも分からなかった。

ただぼうっとした頭で、

(明日からも渉と仕事しなきゃいけないのに、どうしようかな…)

と考えていた。

 わたしは次の日の朝、39℃の熱を出し、そこから3日間会社を休んだ。

 だるさの残る身体を引きずりながら出社した朝。

始業前にお手洗いに行くと、メイクコーナーの前で先輩社員2人が話す声が聞こえた。

「ねぇ、聞いた?穂香と倉持さん、付き合い始めたって」

「あ、あたしも聞いた。でも、倉持さんってさ日奈と…、あ…」

鏡越しにわたしと目が合った。先輩がマスカラを持ったまま固まった。

にっこりと笑顔を作ってあいさつする。

「おはようございます。先輩」

「あ…お、おはよう…」

わたしはそのままメイクコーナーを後にした。

(もう広まってるのか…)

そんなことを考えながら自分の部署へと向かって廊下を歩いていると、向こうからおそらく広めた張本人がやってきた。

 ウェーブのかかった明るい茶髪。目を引く華やかな容姿。耳には小さな赤いピアスが光っている。

「あ、日奈。」

ひらひらと手を振る。

(一番会いたくない人間だ…)

「あのね…日奈にだけは言っておきたいことがあって…」

身体をよじってもじもじともったいぶる。

顔を寄せ、小声でささやくように言う。

「あたし、倉持さんと付き合うことにしたの。」

「そう。…おめでとう。」

「うん。あと、来年にでも結婚して欲しいって」

うふ、と嬉しそうに小首をかしげる。

「港区のイーストオーシャンホテル。あ、良かったら日奈も来てね。」

(わたしたちが予約してた式場じゃないの…。)

キャンセル料を惜しんだのか、相手を変えて挙式はそのままやるつもりらしい。

そこでわたしは、はたと思いついた。

オーダーしていて、そろそろ届くはずの婚約指輪のことを。

あの日も確か、指輪を選んでいるときにスマホを見ながら何やらニヤニヤしていた。

「日奈が好きなのを選ぶといいよ」

そんな優しい言葉をかけてくれて、店員さんも、「素敵な彼氏さんですね」

何て言っていたけれど、あの時すでにわたしの中で芽生えた不信の芽は葉を茂らせ、小さな蕾をつけていた。

 半ばやけくそで決めたあの指輪にはイニシャルが入っていたはずだ。

―H。日奈……穂香。

式場のキャンセル料をケチろうとするくらいだ。流用できるオーダー指輪をわざわざ作り直すはずもない。

わたしはあまりに馬鹿馬鹿しい気持ちになった。ふわふわと茶色い髪を揺らして浮かれている穂香がかえって気の毒にさえ思えた。

「……出席はできないかもしれないけれど…幸せを祈ってる」

「そう?ざんねん」

穂香は肩をすくめた。

結婚式に元カノを呼ぶかは結婚を控えたカップルが悩むところかもしれないが、彼女は渉の歴代の彼女を全部呼んでも構わないというタイプだ。自分が選ばれたのだ、と幸せを見せびらかせたい。自分が奪った相手は特に。

「でも…ありがと。幸せになるわ。だって、あたしたち相性最高だもの。色々と、ね。まぁ…試してないからわかんないか。」

クスクスッと笑うその笑顔は、残酷で、それでいて哀れだった。

 2人に対する怒りとか、婚約者を奪われた悲しみとか。

そんなものはどこにもなかった。ただ全てがどうでもよかった。

 社内で立てられるあるない噂だって聞き流せた。噂話をする人に食ってかかってくれた文さんをかえってなだめていたくらいだ。

 会社を辞めることにしたのはそんな投げやりな気持ちからだったが、事情を知る上司をはじめ、誰も引き留める人はいなかった。

わたしの仕事は、穂香が広報部から異動してきて引き継ぐことになっている。父親の水沢取締役の意向らしい。

「アシスタントって補佐的なことでしょ?渉さんに付きっ切りで教えてもらうから、だいじょうぶよぉ」

 穂香が甘ったるい声でそう言うものだから、ロクな引継ぎはしていない。外回りの営業だとか2人きりのミーティングは引継ぎと称して熱心にやっているようだ。

辞めるまで時間があるし、席に座って仕事をする他ないのでわたしはせっせと引継ぎ資料を作った。

取引先を多く抱える渉のアシスタント。引継ぎ資料だけでかなり膨大なものになった。穂香がこれに目を通すとはとても思えなかった。

迎えた最終出勤日。

文さんは既に海外研修に出かけてしまっていない。

紋切型の挨拶をして、まばらな拍手を受ける。

3年勤めただけの営業アシスタントの退職にしては不釣り合いな大きな花束を抱えて穂香が前に進み出た。ユリにカラー、カスミソウ。全て白の花で作られた花束。

「日奈、2年間、お疲れさま」

小首をかしげてにこっと微笑む。

「……ありがとう」

 花束は、会社の建物を出たところにある広場のゴミ箱の奥に突っ込んだ。

何もない。もう何もいらない。

蒸し暑い空気が身体にまとわりつく。

振り解くようにして、

照り付ける夏の日差しの中へ踏み出した。

Hina, I think we should break up.”
It was two weeks ago that Wataru said this to me at a hotel bar where he had called me to talk with me after work.

It’s not fair,” Wataru said. Why didn’t you just say you wanted to break up?
Wataru’s brow wrinkled a little and his mouth was set in a straight line.
I wondered if he was trying to keep quiet. I continued speaking.
It’s Honoka, isn’t it?
I didn’t mean to question him. It was just a confirmation.
I looked into Wataru’s face from the side. I wanted to at least look him squarely in the face and talk to him.
But Wataru kept his eyes downcast and his face turned to the side.
And after a long silence,
“……Ah.”
I sighed deeply.

 I sighed deeply.
I sighed deeply, “I have to cancel the …… ceremony. I also need to contact the executive director, who has been asked to act as matchmaker.”

Wataru propped himself up on his elbows and rubbed his forehead against his palms.
……That’s the kind of place I’m talking about.”
Eh…?”
‘In a case like this, why? Why? The most important thing to remember is that the best way to get the most out of your newborn is to make sure that they are happy and healthy. The most important thing to remember is that you can’t just go to the store and ask for a discount. And ……”

I looked into Wataru’s eyes. I know what he is going to say. But Wataru didn’t say anything more. I know what he’s going to say, but he didn’t say more. Wataru is not that stupid.
He said, “…… Anyway, that’s what I meant. Ah…I’ll take care of all the cancellations and stuff. I’ll take care of everything. I’m going.

 With that, Wataru left his seat.
I, who was left behind, poured the untouched blackcurrant orange in front of me down the back of my throat in one gulp. Was it because I knew it was over, or was it because I didn’t like him enough to regret his departure? I wasn’t sure either way.
Just a foggy head,
(I have to work with Wataru tomorrow, too, but what should I do…)
I was thinking about it.
 The next morning, I developed a fever of 39 degrees Celsius and was absent from work for three days.

 The morning I arrived at work, dragging a sluggish body.
When I went to the bathroom before work started, I heard two senior employees talking in front of the makeup area.

Hey, did you hear that? Hoka and Mr. Kuramochi have started dating.
I heard that too. I heard that Kuramochi-san and Hina…ah…”
My eyes met with hers in the mirror.
I smiled and greeted her.
Good morning, senpai. Senpai.
Oh, good morning…”
I left the make-up corner as it was.
(I walked down the hallway toward my department, thinking, “Is this already spreading?)
As I was walking down the hallway toward my department with this thought in mind, the person who had probably spread the word came from the other side.

 He had wavy, light brown hair. She has a gorgeous appearance that catches the eye. A small red earring shone in her ear.
“Ah, Hina.”
She waved her hand in the air.
(She is the last person I want to see…)
I just wanted to tell you something…”
The girl’s body wriggles and fidgets.
She pulls her face close and whispers in a whisper, “I, Kuramochi-san, and I want to talk to you.
I’ve decided to go out with Kuramochi-san.
I’ve decided to go out with Kuramochi-san. Congratulations.
I’m so happy for you. He also asked me to marry him next year.
She nodded her head happily.
I’ll be at the East Ocean Hotel in Minato-ku, Tokyo. Oh, you can come too, if you like.
(It’s not the place we had booked…)
They seemed to have spared us the cancellation fee and were going to hold the wedding ceremony without any change.
Then it occurred to me.
I thought of the engagement ring that I had ordered and was supposed to receive soon.
As I recall, I was selecting the ring that day…

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